図書館を歩いていたら、こんな本を見つけました。
そういえば、「ビュッフェについても、実は学術論文が出されている」デイリーポータルZの記事も最近読んだな。なんてことを思い出しました。
そんな際物(失礼)な論文を読みつつ、「なぜ、人間は論文を書くのだろうか?」そんなことまで思いをはせてしました。
なぜ、人は論文を書くのでしょうか?そもそも論文って何なんでしょうか?
「ヘンな論文」を基に、真面目に、論文について考えてみましょう。
なぜ、人は論文を書くのか?

なぜ、人は論文を書くのか?
これを明らかにするには、「論文とは何か」、さらには、論文を書く対象である「研究とは何か」を考えなければいけません。
サンキュータツオさんに言わせれば、研究とは以下のようなものになっています。
まず、大きく分けて2つある。「人間とはなにか」についての研究と「この世界とはなにか」に関する研究である。
「人間」には、「私」や「あなた」や「彼・彼女」も含む。
「世界」はそんな私たちの周りにあるものはなんなのか、この環境はなんなのか、なぜ私たちはここにいるのか、ということを含む。宇宙も含む。
次に別軸の2つの研究に、「いまどうなのか」についての研究と、「いままでどうだったのか」に関する研究がある。
(中略)
つまり、4種類とは、
- 「人間とはなにか」の「いまどうなのか」の研究
- 「人間とはなにか」の「いままでどうだったのか」の研究
- 「この世界とはなにか」の「いまどうなのか」の研究
- 「この世界とはなにか」の「いままでどうだったのか」の研究
ー「ヘンな論文」.サンキュータツオ.pp68~69
織田信長の研究だったら、「人間とはなにか」の「いままでどうだったのか」の研究に属するでしょう。
私の行っている、教育に関する研究だったら、「人間とはなにか」の「いまどうなのか」の研究にあたります。
科学の最新技術についての研究(例えばAI、電気自動車関連)だったら、「この世界とはなにか」の「いまどうなのか」の研究になってくるでしょう。
どんな難しい内容でも、元をたどれば「とにかく、目の前にある不思議の原因を知りたい」という好奇心から研究は出発します。
参考にした文献では、
「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」、「コーヒーカップとスプーンの接触音の音程変化」などが紹介されていました。
斜面に着座するカップルはどれだけの距離が離れているのか。
これを科学的に考える。
場所は横浜でやっているが、鴨川でも同じことが言えるのだろうか・・・。
そんな下世話なことを考えてしまうようなことから、コーヒー粉にお湯を入れてかき混ぜていくと、音って変化するの!?なんていう日常の小ネタのようなことまで、考えていくのである。
コーヒーの話は、40年前に実はアメリカですでに同様の疑問が出ていて、研究結果が論文として書かれたそうです。
こちらの論文では、それを高校物理の教材化にしたところが新しく、論文として認められました。
この二つの研究も、「この世界とはなにか」の「いまどうなのか」の研究と言えるだろう。
こう振り返ると、とにかく目の前にある疑問を客観的に考える。
それが論文なのである。
論文の違い

世間一般でいわれる「論文」というのは、修士号取得以降の研究者が書いた、雑誌に掲載された論文を指します。
雑誌にも2種類あって「紀要」という大学が発行している雑誌と、「論文誌」という研究領域を同じくしている人たちが投稿し合う雑誌です。
「紀要」は、ざっくりいうと大学の研究業績をまとめた雑誌です。
その1年、その大学はどんな研究者がどんな研究をしたのか。それをまとめてあります。
小・中学校でも、「研究紀要」として、毎年の授業実践の様子をまとめて発刊をしている学校もあります。
「論文誌」は、学術雑誌とも言います。
世界的に有名なのはNature。科学分野で一番権威のある雑誌です。
自分だと、日本数学教育学会の研究誌。数学教育に関する論文が載せられます。
それぞれの雑誌で、載せる論文の方向性が決まっていて、自分の研究分野にマッチした学会に所属し、論文を投稿するのが一般的です。
こちらは、論文を投稿すると「査読」というものがあります。
投稿された論文の研究分野について、全国の専門家の人が目を通し、掲載にあたっての是非を考えるのが査読です。
紀要には査読はありませんが、論文誌には査読があって、査読が通ったということは、専門家にOKをもらったという権威があるものになるのです。
ただ、論文誌の発行間隔は、学会によってさまざまで、理系のものだと、毎月発行されることもあるが、人文系になると、1年に1回、2回なんてこともある。
論文掲載のタイミングを逃すと、せっかく査読が通っても、1年後に掲載なんてこともあるんです。
ハゲタカジャーナルに注意
ただ、論文を発行する団体にも悪い団体がいるんです。
ハゲタカジャーナルと言って、ろくに査読もせずに、論文を掲載する団体もあります。
掲載料を、投稿者からせしめたうえで、論文を掲載するのです。
査読が十分にされずに、掲載されると、論文の質が保証されません。
同じ研究領域の人が研究を参考にしたときに、混乱することはもちろん、人類が研究を進めていくうえでも、問題になります。
そういった詐欺まがいの団体がいるのが残念なことです。
学校では「探究的な学習」が求められている

さて、高校では、「総合的な探究」が創設されました。
なじみがない教科ですよね。
「理数探究」や「世界史探究」といった科目もできたそうです。
ただ、探究なのに、教科書があるという・・・。探究ってなんぞや?
小・中学校でも、「総合的な学習」はもちろん、算数・国語などの普通の教科でも、探究的な学習が求められることになった。
多分、探究で求められている子どもの姿とは、上記のように「身の回りのことで自分が探究したいということを見つけ、課題を設定し、達成に向けて努力する」姿が求められるようになった。
ただ、この「探究したいこと」を見つけるのが難しい。
勉強だけでなく、運動でも、芸術でも何でもいいのだが、自分の追求したいことを見つけるというのが一番難しいのである。
うっそーと思う人もいるかもしれないが、じゃぁ自分に問いかけてみてほしい。
「今、あなたが追求したいこと、極めたいことを教えてください」
答えられますか?
大人だって難しいのです。
子どもでも、そんな追求するようなことを見つけなさい!って言ったって見つけられるわけないんですよ。
でも、自分で「追究したいことは何か」考えながら生きることは大事だと思います。
それが、今後の進路選択・職業選択をするとき、自分がどう生きるかを考えた時に生きてくるのではないのでしょうか?
NHKのチコちゃんに「ボーっと生きてるんじゃないよ!」と言われないように、生きていかなければいけませんね。
最後に

最近、「博士が愛した論文 研究者19人が語る‟偏愛論文”アンソロジー」という本も読みました。
論文は、研究者が、研究成果をまとめた一つの努力の結晶です。
上の本は科学方面の真面目(というか専門的過ぎてよくわからない)論文がたくさん書いてありました。執筆者も、大学の先生方なので、読んで面白かったですが、書いてあることは難しかったです。
自分もアマチュアながら論文を書いていますが、やっぱり、論文を読みなれていない人にとっては難しいようです。
今回読んだサンキュータツオさんの「ヘンな論文」、「もっとヘンな論文」。
それぞれの論文が、サンキュータツオさんのフィルターが入って、おもしろく楽しく紹介されています。
ぜひ、学問の世界は広いってこと、これだけ技術が進んだ人類でも、わからないこと・解明されていないことがたくさんあるってことを知ってもらえればと思います。
ちなみに、「ヘンな論文」では、論文とはなにかについて理解が深まります。
「もっとヘンな論文」では、説明なし。とにかく筆者がヘンだ!とおもった珠玉の論文が開設されています。
ぜひどちらもご覧ください!

自分の研究についても、合わせて知っていただけたら嬉しいです。
参考文献・参考HP
参考文献
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