毎週楽しみにしているPodcast「誰もやらないビジネスのつくり方」
今週は、「”カッコいい”ビジネスパーソンは、ビジネスも生き方も『自分の世界』を持っている」がテーマでした。
世の中、いろんなビジネス書が出ています。本屋に行けば「かっこいい経営者」とか「できる会社員」がテーマになっている本もたくさん出ていますね。
教育の世界でも、授業の仕方だったり、ICTの使い方、今の教育動向に関する本ばかりだけでなく、「教師としての生き方」みたいな本もたくさん出ています。
最近だと、渡辺道治先生の「教師の仕事術」が話題になっています。(読んでいないですが)
私が読んだ本の中では、堀裕嗣先生がそんな感じです。
ビジネスの世界でも、教育の世界でも「できる人」「尊敬を集める人」というのは何かしらの共通点があるように思われます。
今日は、誰もやらないビジネスの作り方の話の中から色々考えてみます。
ワークライフバランス

2025年10月10日現在、高市総裁の「ワークライフバランスを捨てて頑張ります」の発言が、いろんなところで波紋を呼んでいます。
オバマ元大統領も米誌Forbesの「成功を目指す人々にとって、ワークライフバランスは存在しない」との記事の中で、大きな成功を目指す人々は、常にワークライフバランスを保つことは期待すべきではないとの見方も示しています。
オバマ大統領は、選挙期間中は、仕事にフルコミットをして、大統領在任期間中は「夕飯は家族と食べる」ことを徹底したようです。夕飯を食べたあと、仕事に戻っていったとか。
今回の「だれもやらないビジネスの作り方」を聞いて、最初に頭の中に浮かんだことが、上記のニュースでした。
仕事に注力をしている人が魅力があるのでしょうか?
それとも、ワークライフバランスを保って頑張っている人に魅力があるのでしょうか?
他者に貢献できる人であろう

番組の中で語られていた中でこんな話がありました。
お医者さんの中で、高いスーツやハイブランドの時計、外車を乗り回している人がいる。
そんな人に私(パーソナリティの櫻堂さん)の上司が「中身より高いじゃないですか」と冗談めいて言っていた。
(中略)
大事なのは「他者に貢献できる人でありなさい」ということを常々言っていた。
ー櫻堂さんの言葉より
これって、欧米圏の上司だから、こういうことを言うのかな?と思って、聖書に載っているか、ChatGPTくんに聞いてみました。
ガラテヤの信徒への手紙にはこうあります。
「善を行うのに飽きてはなりません。時が来ると、刈り取ることになります。ですから、機会のあるたびに、すべての人に、特に信仰の仲間に善を行いましょう。」(6章9~10節)
また、ピリピの信徒への手紙には次のように書かれています。
「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい。各自、自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(2章3~4節)
マルコによる福音書では、イエスの生き方を通して奉仕の心が示されています。
「人の子も仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を与えるために来たのである。」(10章45節)
さらに、マタイによる福音書には次のような深い言葉があります。
「まことに、あなたがたに言う。これらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(25章40節)
そして、最もよく知られた言葉の一つとして、マルコによる福音書にこう記されています。
「あなたの隣人を自分のように愛しなさい。これよりも大事な戒めはほかにない。」(12章31節)
これらの言葉はすべて、他者のために生き、愛によって行動することの尊さを私たちに教えています。
翻って、仏教ではどうでしょうか?
仏教では、他者への貢献は「慈悲(じひ)」という言葉で表されます。
慈とは「すべてのものに安らぎを与える心」、悲とは「苦しむものを救いたいという心」です。
お釈迦さまはこう説かれました。
『スッタニパータ』には次のようにあります。
「他人に対して怒りをもってはならない。害をもってはならない。どのような生きものに対しても、苦しみを与えてはならない。」
また、『ダンマパダ(法句経)』には、次の有名な句があります。
「他人にしてほしくないことを、自分からしてはならない。」(法句経 129偈)
──これはキリスト教の「黄金律」(自分がしてもらいたいように人にしなさい)と非常によく似ています。
さらに、同じく『法句経』にはこう記されています。
「怒りに怒りで報いてはならない。怒りをもって怒りを鎮めることはできない。怒りをすてたときにこそ、怒りは鎮まる。」(法句経 5偈)
──これは、争いや恨みの連鎖を断ち、他者と和して生きる道を示しています。
そして『華厳経』では、このように説かれます。
「一即一切、一切即一。一つのいのちはすべてのいのちにつながっている。」
──つまり、自分を大切にすることと他者を大切にすることは、実は同じことであり、他者への貢献はそのまま自分を生かす道でもあるのです。
最後に、『維摩経(ゆいまきょう)』の言葉を添えましょう。
「菩薩は自らの幸福を求めず、一切衆生をして苦を離れしめんと願う。」
──これは、悟りを求める者(菩薩)が、自分の利益よりも他者の幸せを優先する姿を表しています。
どちらの文化圏でも他者のために生きることが、幸福につながることを言っています。
これは、キリスト教圏でも、仏教圏でも共通する考えなのですね。
「利他」が大事

「誰もやらないビジネスのつくり方」のプロデュースしている「Cronicle」の番組、「ReRACTION Radio」の中でも「利他」という考えを大事にしています。
ReTACTION Radioは、龍谷大学の大学の先生が今の研究している内容を紹介している番組です。
舞台の龍谷大学の建学の精神にも「利他」について言及されています。曰く、
自己中心性に気づくことから始めたいと思います。自分は果たしてこのままでいいのか。自分に欠けていることは何なのか。自分のありようを省みることが自己変革に繫がります。「自分のものさし」ではなく、「仏さまのものさし」で自分をはかれば、そもそも「自己なるもの」は虚妄であることが見えてきます。自分という存在は他者との関係性から成り立っているのであり、他者との関係性を重んじる「気づき」が重要となってきます。
ー龍谷大学 学長メッセージより
商売も教育も、結局は他者とのつながりによりより発展できるのではないかということです。
教育に世界で言えば、教師と生徒の関係。教師と保護者の関係はもちろん、教師と教師。教師と地域。
それぞれが相手のことを思いやって、関係を作り活動を進めていく中でより良い教育活動ができるわけです。
学校側(教師だけ)が得するだけの提案では、誰も得をしないのです。
一番最初に引用した櫻堂さんの「他者に貢献できる人でありなさい」という言葉はまさに「利他」の精神に基づく話なのです。
利他になっていない教育

でも、教育って、そんな場面あるの?
先生って、自分だけのことを考えることってあるの?
そう思われる方もいるかもしれません。
でも結構あるのです。
例えば、授業。
自分が、欠席した時は、他の先生に補欠授業を頼みます。
ただ、補欠授業で、自分が思ったようになっていないと、途端に機嫌の悪くなる先生がいます。
子どもとの授業でもそうです。
生徒のためを思って行わない授業。先生の独りよがりな授業。
これでは、子供はついてきません。
少しでも、生徒が輝く授業にしたい。
そんな思いのない授業は、途端につまらないものになってしまいます。
教師の仕事は、まさに「他者に貢献できる」というより、「他者に貢献しなければ成り立たない」仕事です。
よく、「先生は授業で勝負!」なんて言われますが、まさにその通りなのです。
働き方改革における「利他」

その裏で、先生という仕事は利他を強制されてきた面もあります。
例えば部活動。
これは、昭和時代に、一部で行われていた活動が、全国的に広がり、学習指導要領にも位置付けられ、今日に至ります。
地域の活動だったものが、だんだん全国的な組織が作られ、大会なども作られ大規模化してきて今日に至ります。
ただずっと部活動への先生に対する処遇は改善されてこなかったのです。
自分が、中学生だった頃も、部活動はしっかり先生が見ていました。
ただ、よくよく考えれば、土日も部活動の練習を見てくれて、顧問の先生は体調や家庭は大丈夫だったのでしょうか?
そういうふうに考えられなかったのは、とても申し訳なかったと思うと同時に、自分が教師という立場に立って、「部活動の扱いってモヤッとするな」と思うわけです。
けれど、社会は、まだまだ学校に部活動を担ってほしいという声もたくさんあります。
利他の精神で考えてみましょう。
部活動は子どもにとって必要という声が根強くあります。
ただ、部活動は強制入部がほとんどです。
逆に、部活動が体力的に・精神的に様々な理由でしんどくて、不登校になっている生徒もいます。
また、保護者は楽かもしれませんが、教師としては土日出勤が強いられ、手当も雀の涙ほどしか出ない(3時間以上見れば3000円程度支払われる。それにかかる交通費は含まれない。3時間になっていなければ支払われない。大会などで、1日部活を見ても支払いは3000円のみです)
これは本当に利他なのでしょうか?
部活を辞めたいという教師の声は本当に独りよがりのものなのでしょうか?
今では、スイミングのように、ちゃんとしたスポーツスクールが存在しています。
自分の地域では、もっとテニスや野球で身を立てたいと、車で1時間かけて、遠くのテニススクールや野球教室に通っている生徒もいます。
部活動が他者(生徒)に貢献している面は確かにあります。
ただ、それに対する見返りが少ないのもご理解いただけたと思います。
「子どもの成長が、何よりの報酬である。」なんて言う先生もいますが、度を超えている部分はないでしょうか?
学校で行う部活動が「本当に利他になっているのか」そういう点で考える必要もあるのかなと思いました。
最後に

今回は櫻堂さんの言葉から、宗教という切り口、教師の姿勢、部活動問題まで話が広がってしまいました。
ただ、言えることは、自分よがりの活動は結局は、自分の利することにはならないのです。
よく意味が間違われるのですが「情けは人の為ならず」という言葉があります。
これは、「人に情けをかけることは、相手のためだけでなく、巡り巡って最終的には自分のためにもなる。だから積極的に親切にすべきだ」という意味です。
このような思いが、ビジネスでも教育でも大事なわけです。
利他を考え、活動できる先生はとても魅力的な先生が多いです。
そんな利他の輪が広がるといいなと思いました。

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参考HP



https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/118927.pdf
実際にalba labさんの会社にも訪問もさせていただきました!







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