変化の早い現代。
「生きるのがしんどい」ということをよく聞きます。
自分も、何のために生きているのかなーなんて思うことがよくあります。
特に、日常生活が単調になってしまうとそう感じることが増えてしまいます。
皆さんは「生きがい」ってどのように見出しているのでしょうか?
自分はとにかく迷子なので、色々な人の意見を集めながら「生きがい」について考えています。
今回、岸見一郎さんの「これからの哲学入門 未来を捨てて生きよ」を読みました。
「嫌われる勇気」の著者というとピンとくるからも多いのではないでしょうか?
今日は、「これからの哲学入門 未来を捨てて生きよ」を読んで考えたことをメモとして残しておこうと思います。
生きがいには2つの意味がある

精神科医の神谷美恵子は病気の人を例にして次のように言っています。
「将来の或る時を待ち望んでただ現在の苦しい性を耐え忍んでいなくてはならない人もある。この場合にも現在の毎日が未来へと通じているという、その希望の態勢に意味が生じうる」
ー神谷美恵子.「生きがいについて」
神谷によれば、「生きがい」という言葉の使い方には二通りあるそうです.
「この子は私の生きがいです」という場合のように、生きがいの源泉、または対象を指すときと、「生きがいを感じている」という精神状態を意味する時の二つです。
後者は神谷は意味感、あるいは、生きがい感と呼んでいます。
たとえ苦しくても、この現在が未来へと通じていると思えればこそ希望が持て、生きがいを感じることができるというのです。
さらに、神谷は、この生きがい感を幸福感と区別しています。
生きがい感は幸福感の一種で、しかもその一番大きなものだが、この二つを並べてみると、そこにニュアンスの差が明らかに認められるというのです。
「生きがい感には幸福感の場合よりも一層はっきりと未来に向かう心の姿勢がある。例えば、現在の生活を暗たんとしたものに感じても、将来に明るい希望なり、目標なりがあれば、それへ向かって歩んでいく道程として現在に生きがいが感じられうる。
ー前掲書
そして、現在の幸福と未来の希望とどちらが人間の生きがいにとって大切かといえば、いうまでもなく希望の方であろうと神谷はいいます。
ここから言えるのは、今が苦しくても、未来に希望が持てれば、「生きがい」を感じることができるというのです。
このことは、何となく皆さんも経験があると思います。
「大学受験がしんどかった」という人がいると思います。
けれど、受験後の楽しいキャンパスライフが夢を持てるから、苦しい受験勉強を続けることができるのです。
私は陸上で長距離をやっていました。毎日何十キロも走って、すごく苦しい練習をこなしました。
苦しいのになんで続けられたかというと、「大会で今よりも速く走れるようになるという希望」を持っていたからです。
希望が見えないならどうすればいいか

受験や部活動、希望を持ちやすい場面です。
ただ、先ほども言いましたが、日常を見てみると、希望を持てない例もあります。
例えば病気。
もし、癌と宣告されたら、目の前が真っ暗になることが想像できます。
風邪などの病気と違って治る見通しが持てないからです。
例えば日々のルーティン。
このまま日々を過ごしていって、なにか希望がわいてくるのか。そういうふうに思う時があります。
先に引用した神谷美恵子が病気の人を例にして次のように言っています。
「将来のあるときを待ち望んでただ現在の苦しい生を耐え忍んでいなくてはならないひともある。この場合にも現在の毎日が未来へと通じているという、その希望の態勢に生じうる。
ー神谷美恵子.「生きがいについて」
ここで神谷がいう意味感というのは「生きがい感」です。
先ほど例に出しましたが、受験や部活動の練習をどれだけ頑張っても志望校に受からなかったり、記録を伸ばすことができなかったりすることも多いです。
現在の毎日が未来へと通じていますが、その先に必ず希望があるとは限らないし、大抵、希望は実現しません。
だからこそ、希望を未来に結びつけてはいけないのです。
「今」においてこそ希望は持てるのであり、生きがいは神谷がいうように未来ではなく「今」感じられなけえればいけません。
どうすれば、「今ここで生きがいを感じることができるようになる」のでしょうか。
今、生きがいを感じられるようにするために

生きているだけで他者に貢献をしている
ちょっとしたこと(例えば、友達が机から落とした鉛筆を拾って渡す。「ありがとう」と言われる)だけで心が満たされます。
また、きっと自分が今なくなったら、涙を流してくれる他者の存在があるはずです。
自分が生きていることが、他者にとって喜びであり、生きていることで他者に貢献しているのです。
今生きているということで、他者に貢献していると感じられる時に、生きがいを感じるのではないでしょうか?
こんなふうに書くと、「とにかく行動せよ!挑戦せよ!」といった自己啓発書の文言と違うじゃないかと言われることもあるでしょう。
けれど、とにかく行動できるのは、もし失敗しても、自分を受け入れてくれるセーフティネットがあるからこそ、挑戦ができるのです。
まずは、自分がいていいんだ。そして生きていることそのものが、かけがえのないことということに気づきましょう。
「生きている」それだけで、周りの人のためになっているのです。
「生きがい」「働きがい」「やりがい」を見つけるために「今」にフォーカスしてみよう(「最後に」に変えて)

特に人間関係や、待遇などに不満がなくても、嫌になっている人がいたら、「今」にフォーカスしてみましょう。
自分の周りの生徒にも、「学校にいく意味が感じられない。」といった生徒の声を聞きます。
職場の仲間からも「今の仕事に働きがい、やりがいを感じない。」という声を聞きます。
今、ここで学校に来ている、仕事をしている。
その関係性があり、その中で活動できているだけでそれは素晴らしいことなのです。
一度たちどまってゆっくり考えてみましょう。
きっと、ここでいなくなってしまったら、悲しむ仲間がいるはずです。
あなたがいるだけで、それ自体に意味があるのです。
もし余裕があるなら、周りの人の笑顔を増やすにはどうすればいいかな?
なんて考えてみましょう。
ちょっと学校や職場にいく理由が見つかると思いますよ。
皆さんの経験談を募集しています。ぜひコメントに残してくださいね。

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