思春期の中学生。
周りの目が必要以上に気になったり、背伸びをしてしまったりしてしまう時期です。
コンプレックスを抱えて、自分ってだめだと思ってしまう子もいます。
リストカットなど自傷行為に走る子もいます。
そんな子の相談に乗る時、どんな話をすればいいのか。
少しでもその子が生きやすくならないのかな。
なんてことを考えながら今日の記事を書いてみます。
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コンプレックスで得られなかったことよりも得てきたものを掘り出そう
もっと見た目が良かったら。
もっと頭がよ買ったら。
もっとお小遣いがもらえて、楽しく暮らせたらな。
容姿、性格、才能、家庭など、足りないものを他人と比べていたらキリがありません。
ついつい私たちは、マイナス面に目がいってしまいがちです。
けれども、コンプレックスの見方を変えれば、きっと得てきたものがあるはずです。
例えば、勉強が苦手だから、それを補えるように運動や、絵など他の事を頑張ってみる。
親が苦手だから、早い時期から独立しようと自立心が芽生えるなど。
きっと良い面もあるわけです。
イギリスの哲学者ラッセルは、著書「幸福論」の中で、
「欲しいものをいくつか持っていないことこそ、幸福に不可欠の要素である」
と述べています。
何もかも満足する生活を思い浮かべてみてください。
きっと人生は退屈なものになってしまうでしょう。
足りないもの、欲しいものがあるからこそ、人間はそれに向かって頑張れるのです。
コンプレックスは、見方を変えれば、生きる上での原動力になっているのです。
コンプレックスとうまく付き合う、うまく受け入れる
コンプレックスは、自分の嫌な一面であり、決して認めたくないものだと思います。
嫌だからといって切り離せないのも、コンプレックスの難儀なところです。
コンプレックスは紛れもなく、自分自身の一部です。
コンプレックスを忌み嫌うことは、究極の自己否定ともいえます。
そんなコンプレックスと受け入れないさい・・・とは言えません。
どうしても気になってしまうものですから。
でも、自分の性格の一部として「そんな自分もあるよね」ともう少しコンプレックスを全体の一部として見てみるのはどうでしょうか。
自分の話をしたいと思います。
自分は、音痴です。
音痴なのに大きな声が出ます。
中学校の頃、文化祭でクラス対抗合唱コンクールがありました。
よくクラスメートから、「音が外れてる」と言われたものです。
だんだん、歌う声が小さくなっていきました。
そこで、担任からは
「なんで声が小さくなるんじゃ。もっと声を張れ!」
と言われたものです。
まさしく板挟み状態。
毎日、CDプレーヤーで練習しましたが、なかなかうまくはなりませんでした。
10年経って、教師になりました。
小学校で勤務しても、中学校で勤務しても、合唱指導はついて回ります。
先生が音痴なので、子ども達も、音程が外れることを気にせずのびのびと歌うことができるようになりました。
そして、おかしいところは音楽専科の先生に指導いただいて、なおすと言う形をとっています。
自分の音痴が、子供の自信につながるなんて、自分の音痴も捨てたもんじゃないなと思いました。
自分のコンプレックスの付き合い方が見えた瞬間です。
自分のコンプレックスと思ってたことも、見方を変えると強みになるんだなと付き合い方を変える事ができました。
コンプレックスは克服すべきか、否か
音痴を克服するために血の滲むような努力をするという方法もあったと思います。
しかし自分はそこまでやりませんでした。
それよりも自分の楽しいこと、興味のあること(私は読書と陸上、あとはパソコン)を頑張りました。
本を読んだこと、パソコンは、学校の事務にも、このブログを立ち上げるときにも役立っています。
コンプレックスが見えなくなるほど熱中できることを見つけることもコンプレックスとのの付き合い方の一つと思っています。
ついつい、コンプレックスを見てしまうから嫌なのです。
コンプレックスを見る暇がないほど楽しいことを見つけませんか。
中学校の「何となく学校にいけなくて困っている子ども達」もそんなものは見つかれば、きっと生きやすくなるのではないのかなと思っています。
まとめ
- コンプレックスで得られたものに目を向けよう
- コンプレックスと上手く付き合う見方を見つけよう
- コンプレックスなんて忘れられるくらい熱中できるものを探そう
コンプレックスも自分。
そして、コンプレックスは変えることはできないものでもあります。
だからこそ、見方を変えたり、目を向けないでいられるようなことを探したりして、上手く付き合っていきたいですね。
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