学校現場では、働き方改革がずっと言われています。
けれど、なかなか現場はなかなか働き方改革が進まない。
それってなぜでしょう。
もちろん組織としての問題はあります(例えば、部活動とか)
個人レベルでも何とか変えていくことはできないのでしょうか?
今回「超実践的幸福論」からヒントをもらったので、紹介したいと思います。
なぜ学校の仕事が増えたんだろう?

自分の親も教師をやっていました。
60歳を超えて、定年退職をしました。
昔は、「一晩徹夜で、所見を書いたよ。」とか「教育論文は、一晩で一発手書きで書いていったよ。」なんて話を聞きます。
けれど、「あの頃より、今(退職間際の時代の方が)の仕事は大変。」なんてぼやいています。
昔よりも、経験も積んで、PCなどの電子機器も入り、仕事は格段にやりやすくなったはずです。
それなのに、なぜこんなことを言うのでしょうか?
教育の目標が変わった
教育の目標がかわってきたのが一つの要因だと考えています。
(良い悪いかは置いておいて)昔(30年前)は、一斉授業や校則といった画一的な授業が今よりもより鮮明にされていました。
金八先生の時代ですね。
先生は、どんな生徒だろうと画一的な指導をするだけで済んだのです。
そこで悩む必要はありません。
生徒の状況はとりあえず脇に置いておいて、目標とする生徒像を目指して指導をすればよかったのです。
また、社会ともコンセンサスがとれていたので、そんな指導をしていても、クレームが来ることは今と思うと少なかったことでしょう。
翻って最近では「個に応じた学び」「個別最適な学び」と言ったことが文科省からおりてきています。
クラスの人数は、30年前と変わらない(編成が一クラス40人から35人には減りましたが)のに、今度は、一人一人40パターンにあった教育をしましょうとなったのです。
それは、なかなか難しいことです。
一つ一つにかける仕事の時間は減った。仕事の量や種類は増えた。
パソコンやインターネットの発達により、情報のやり取りが容易になりました。
保護者への連絡網は(ほぼ)無くなり、アプリで一括配信するようになりました。
学級通信や授業で使うプリントなどの書類作成もガリ版手書きから、PCで作れるようになりました。
色々な調査(例えば国から降りてくる調査や、授業に対する子どものアンケート)などもGoogle フォームなどのアンケートツールの発達で、集計する手間もほとんどなくなりました。
これだけ時短ができるようになったのです。
なぜ、働く時間は減らないんでしょうか?
哲学者のラッセルも100年前に「1日4時間の労働で社会は十分に回る」と説いています。そして、余暇時間を使ってさらに文化が発展すると言っています。
・・・全然そんな気配はありません。
技術の進歩とともに、確かに余暇はできました。ただ、その余暇の時間に別今までになかった仕事を入れるようになったのです。
だから、昔よりも一つに仕事にかける時間は減り、量をこなすようになったのです。
昔より、生産性が上がったと言えば聞こえはいいですが、大量の仕事をこなす分、心が休まらなくなったと言えるかもしれません。
教育という文面になると、あれもこれもやりたくなる
子どもを成長させたいという気持ちを先生方は誰もが持っていると思います。
そのために、あれもやりたい、これもやりたい。
そんなことが社会の要請や、教員の思い、子どもの思いから今や飽和しているのではないでしょうか?
それで、子どもも教師も首が回らなくなってきているのです。
それが苦しみの根本じゃないんでしょうか?
「やらないくていいことを決めよう」 Podcast「超実践的幸福論」を聞いて感じたこと

さて、うちの校長は「自分の好きなこと、やりたいことをやってください。それは、きっと苦じゃないし、働き方改革につながると思うのです。」ということを言っています。
部活動とか、個人レベルではどうしようもないことをおっかぶせているじゃないか!とは思うのですが、そういうことも校長は喫緊の課題として、いま解決に向けて動いています。
それ以外のところ自分のやりたいことを、どんどんやってくださいと言っているのです。
これを皆さんはどういう風にとらえますか?
今回聞いた番組のなかで、こんなことを言っていました。
「自分の根本が見えなくなってしまう。
忙殺されてしまうと、目標が分からなくなって、訳が分からなくなってしまう。
あれってなんのためにやっているんだっけってなると、焦りにつながる。
目標をどこかに書き留めておけば、ぶれなくなる」
ー15:45辺り 裙本さんの発言より
やらないことを決めるのが大事。
やるといいことと、やらなければいけないことを分けないといけない。
やるといいことはbetterな事。これは無限にあるし、やるといいんだけど、これは外注したり、やらなくてもなんとかなったりするので、これはやるべきではない。
やらなければならないこと。mustなことは、その人しかできないことなので、これは自分でてを動かさなくてはならない。
やるといいことと、やらなければいけないことを分けないといけない。
ー17分辺り 裙本さんの発言より
みなさんは、betterとmustを区別して仕事ができているでしょうか?
もしかしたら、betterなことをやりすぎて、mustの仕事まで手が回らない、ぎりぎりになっているのではないでしょうか?
まずは、自分にしかできないこと、そして、やらなければならないこと。その本質を見極めることに時間を割きましょう。mustの仕事を見極めるのです。
そして、それが見えたら、mustをやりましょう。
目標が見えている仕事は、案外苦ではない物です。
それを見極めることが、大切なことになってきます。
もしかして、betterな仕事でも他の人に仕事が振れないなんて悩んでいませんか?
それは、自分しかできないと思い込んでいるかもしれません。他の人には迷惑と思っているのかもしれません。
自分にとってはbetterだけど、他人にとってはmustの仕事になる場合があります。
例えば体育主任をしていて、放送関係は、放送の係の先生にお願いしますよね。でも、ついつい自分の思いがあって体育主任がとり回す・・・。なんてこともあるはずです。
これは思い切って、放送係の先生にお願いするのです。
そうすれば、自分の仕事に集中できるようになります。
また、誰がやってもbetterな仕事なら、やらなくても切り抜けられるはずです。
そこはやらないという選択をするべきなのです。
そうすれば、学校全体としても余白ができます。
仕事を減らす手間は惜しまない
自分は、仕事を減らす手間は惜しみません。
例えば、衣替えの時期になると、毎年通知を出していました。
ただ、この昨今の気候を考えると、6月から一斉に夏服に替えるのは本当に妥当か疑問です。
そこで「もう夏服・冬服の切り替えは生徒の判断で決めるどうですか?」と、教員・生徒に聞きました。
そしたら、「自由でいいよ。制服でちゃんと授業を受ければ」という話になりました。
そこで、今年の通知では「衣替えはこれから各自判断してください。通知は今後出しません。」としました。
これで、6月・10月に出していた通知が2枚減りました。
このように、betterやmustな仕事をなくしていくという視点も必要になってきます。
空いた時間で自己研鑽を!
私の学校では、ブログや学会での発表を趣味と実益を兼ねてやっている私のような教師がいます。
音楽活動をしている音楽の先生もいます。
プライベートじゃなく学校の活動としても、子どもや教員が好きに作品を発信できる「校内作品展」を企画してくれる美術の先生がいます。
これらの活動は、自分の好きなことをやっています。
そして、それが巡り巡って、子どもたちのためになるだろうと思ってもやっています(少なくとも私は)
これは好きだから、苦じゃないのです。こんな私にしかできないことをやることが働き方改革や仕事に効率化につながるのではないでしょうか?
様々な活動をしていれば、本業の仕事で活きることがでてきます。
何もしなくて力をつけることはできないので、いかに楽しくやるかが大切だと思うのです。そんな思いを以下の記事で綴っています。
そして、そんなオリジナリティある活動をすることで、さらに、誰からも認められる替えの利かないオンリーワンな教員になることもできます。
そうやって自分の力をさらに付けて行くのはいかがでしょうか?
7つの幸福でも、仕事に真に力を入れるべきものは「自己成長できる仕事」であると述べています。
工事中
締め切りに追われて作業をするだけでは変われないのです。
最後に

今日は、「mustとbetterで仕事を判断してやるべきことの集中しよう」をテーマにお話ししました。
学校現場は本当に忙しく、息をつく暇さえありません。
ただ、夏休み、冬休みなどの長期休暇は少しホッとできます。
そこで休みながらも自分の仕事を振り返ってみましょう。
もしかしたら、betterな仕事をしすぎていたかもしれません。
mustの仕事に手がかけられなかったかもしれません。
あるいはそもそも無くせる仕事があったかもしれません。
そうやって、自分の仕事を整理していくことで、mustの仕事に集中できるようになります。
そうやって、自分の働き方改革をぜひ進めていきましょう。

「超実践的幸福論」を引用した記事は他にもあります。あわせてご覧ください!
参考文献・参考HP
参考文献
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