よく泣く子を「泣き虫」などと言うことがあります。
その言葉には、心が弱い、意気地がない、いわゆる「弱虫」のような偏見が含まれていると思います。
しかし、「泣くこと」は、人間の成長にとって重要な表現といえます。
泣き虫な子に対しての接し方を一緒に考えてみましょう。
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「泣くこと」で人は成長する!?
ここではまず、「泣くこと」の意味について考えてみましょう。
悲しさや悔しさ、うれしさなどの感情が強く生じた時に人は涙を流します。
この「泣き」は、強い感情を外に放出し、気持ちを落ち着かせる働きがあります。
子ども(幼児から小学校低学年くらい)は、安心・信頼できる人に対して、泣き、受け止められ、理解してもなぐさらい、慰めてもらうことによって、成長するうえで欠かせない、安心・安全の感覚を得ることができます。
心のおもむくままに「泣ける」環境があることは、子どもの健全な発達に欠かせません。
泣きを受け止めてもらうことが自立に繋がる
親は、慰めてばかりだと子どもが甘えてしまい、泣きグセがいつまでも治らないと考えがちですが、それは間違っています。
泣きを受け止めてもらうこと、 その原因を取り除いてもらうこと、 一緒に問題を解決することの経験の積み重ねから、子どもは少しずつ、自らの感情を自分で収める方法を学んでいくことができます。
成長につれて、感情をコントロールする力が付いてきます。
側にいて、笑顔や抱っこで慰めてもらわなくても、そうしてくれる人を思い浮かべて、泣きたいけど我慢をしたり、自分でもっと楽しいことを考えようとしたりするのです。
子どもが泣いた時に「もういい加減にして!」などと突き放すと、混乱してもっと大きな声で泣いたり、逆に感情を表現しなくなり、人への信頼感を失ってしまうことがあります。
「泣くこと」の個人差と親の対応
「泣く」という表現には個人差があります。よく泣く子もいれば、滅多に泣かない子もいます。
よく泣く子は感受性が強く、周囲への配慮ができるし、滅多に泣かない子は、おっとりしていたり、我慢強かったりするので、どちらもよさと捉えることができます。
どの子の泣きも、わかってほしいというサインであり、一つ一つの泣きに理由があります。
よく泣く子には、面倒がらずに、その都度、あたたかい眼差しを向け、「そうか。 悲しいんだね」と傍らに寄り添いましょう。
そして、理由を理解し、問題解決をしてやったり、子ども自身による問題解決を見守ったりできるといいですね。
私のうちは、(ちょっと大変ですが)抱っこして、5分ほど団地の中を歩いています。
ストレスになるものから離れられること、泣き止むためのルーティン化ができているので、子どもの心はだいたいこれでリセットすることができます。
子どもが落ち着ける空間を用意(今回は抱っこして歩く)、ストレスになるものから逃げられる環境を作ることも、大切と感じています。
まとめ
- よく泣く子には、面倒がらずに、その都度、あたたかい眼差しを向け、「そうか。 悲しいんだね」と傍らに寄り添いましょう。
- よく泣く子には、面倒がらずに、その都度、あたたかい眼差しを向け、「そうか。 悲しいんだね」と傍らに寄り添いましょう。
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