PR 本ブログはアマゾンアソシエイトに参加しています。

【授業・発問・発言・技術】子どもの顔を見て授業をするということ

教育

「子どもの様子をみながら授業をする」

当然なことなのですが、「『子どもの様子を見る』ということはどういうことですか?」と聞かれたときにみなさんは答えられますか?

論じるのはたくさんの切り口があります。

今日は、「教師の発問」「子どもの発言」の場面を切り口に話をします。

教師が「発問」したときに、子どもの様子をみる

教師が発問する。

子どもがすぐ手を上げてくれれば安心するのですが、シーンとなって焦ったという経験はないでしょうか。

私も、すごく身に覚えがあります。

反応がないから、発問の仕方を変えたり、追加のヒントを出したり…。

それでも子どもの反応はよくなくて泥沼にはいっていく。。。なんてことがよくありました。

これってどこが悪いんでしょう?

子どもの様子をみることができていなかった

子どもの立場になって考えてみます。

子どもは、先生の発問に対して、なぜ黙ってしまったのでしょうか。

次のようなことが考えられます。

  1. 先生の発問の内容がよく分からない
  2. 先生の発問を聞いて、考えている

1の場合は、教師のミスです。

もう一度子どもに考えてほしい内容を確認し、発問をし直さなくてはなりません。

2の場合はどうでしょうか。

子どもが考えてい途中、追加発問をすると、逆に混乱して考えることができなくなってしまいます。

そこのさじ加減が難しいのです。

教師として大切にしたいこと

初任時代にいわれた言葉があります。

「発問は、1回だけ」

「1回だけ」発問して、まずは「子どもの様子を見なさい」ということだと理解しています。

発問して考えだす様子があるならば、発問が適切だったということです。

逆に、子どもがポカーンとしている様子だったら、発問は適切ではなかったということです。

生徒の様子を少なくとも1分じっと見てみましょう。

そして、対策を打っていけばよいのです。

一番まずいのは、そのどちらだったかを看取らずに、焦って手を入れて、授業がしっちゃかめっちゃかになっていくことです。

教師が焦っては、授業も成り立ちません。

教師としても授業を振り返ったとき、何が良かったのか、悪かったのか確認ができないからです。

「発問は1回」

この言葉を大切に、日々の授業をしています。

「子どもが発言」をしているときに、子どもを見る

子どもが発言をしているときに、みなさんは教師としてどこを見ていますか?

発言している子どもの意見を板書していますか?

じっと発言している子どもを見ていますか?

私は、発言を聞いている子どもの様子を見ています。

それはなぜでしょうか?

子どもの発言に対して、他の子どもの反応を見るのが大切

子どもの発言を聞いて、子どもたちはどう思っているのか。

「説明が分かったよ!」という顔をしているのか。

「う~んよく分からないな」という顔をしているのか。

その様子によって、発言が終わった後、子どもに対しての投げかけが変わってきます。

みんな分かっている様子だったら、「○○さんの説明はよく分かる説明だったね。」と褒め、それで終わりにしてしまうかもしれません。

もし、みんな分かっているのに、「もう一度説明しましょう」なんてふったときは、逆に白けてしまいますよね。

もし分からないような顔をしているようだったら、「どこが分からなかなったの?」と聞いて、クラスみんなで分かるように話題を繋げていきます。

子どもの顔を見て、投げかけを変えていくことが、教師としての腕になってきます。

まとめ

今日は、「子どもの顔をみて授業する」というテーマで、記事を書いてみました。

みなさん、日ごろの授業ではどうでしょうか?

授業について、一緒に考えるきっかけになれば幸いです。

ぜひコメントをください。

お待ちしています。

スーさん
スーさん

X(旧Twitter)で最新情報を更新中!

ぜひ、フォローしてくださいね!

X:(旧Twitter):プロフィール

コメント

タイトルとURLをコピーしました