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【キャリア 転職 マルクス サルトル 実存主義 労働】仕事を辞めたくなるのは、コントロールできないから?-考える力が身につく哲学入門(畠山創)を読んで、「超実践的幸福論 #32 転職する?勤め上げる?『後悔しないキャリア選択』の考え方」を聞いて-

自己成長・キャリア・ライフプラン

いくつか、転職についての記事を書いてきました。

仕事をすることは生きるうえでどうしてもついて回ります。

その中で、幾度も転職をするべきか、このまま止まるべきか?ということで悩んだことがあります。

SNSや友人と話していても、転職、このまま仕事を続けるといった話は、話題にあがります。

なんで辛いのでしょうか?

最近、哲学の本を読んでいます。

自分も「働く意味」「生きる意味」が迷子だからです。

哲学にこそ、答えがあるのではないかと思って、色々読んで勉強しています。

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こちらの本と、「超実践的幸福論」の番組から、考えたことを今日はお話ししたいと思います。

仕事を辞めたくなるのは「人生をコントロールできていない」から?

自分が仕事を辞めたくなった時のことを思い出してみます。

こんな理由で、辞めたくなった時があります。

  • 児童生徒とうまくやれていない
  • 同僚とうまくいかない
  • 残業続きでしんどい、休日も寝てばっかり

職場の人間関係や、仕事で過酷だから辞めたいということは幾度もありました。

また、こんな理由で辞めたくなった時もありました。

  • 仕事が単調になってきた。発見がない。定年までこれを続けるのか?
  • なんとなく憂鬱

仕事に飽きてきたという理由でも辞めたいと思っているのです。

人間関係やブラックな理由で辞めたくなるのはわかりますが、「なんとなく憂鬱」とかは我儘な感じがしますよね。

これってどんな共通項があるのかなと考えました。

実は5つの悩みには共通項があったのです。

それは「自分の人生を自分でコントロール(思い通り)にできていない」という感覚です。

児童生徒や同僚との関係性がコントロールできない。

仕事の量をコントロールできない。

仕事そのものへの(私の)興味関心をコントロールできない。

自分の理想形(児童生徒・同僚と関係が良い、定時退勤できる など)に達することができていないから、仕事を辞めたくなっているのではないかと感じました。

「実存主義」の視点から考えてみよう(サルトルより)

話が変わりますが、人間とモノの違いはなんでしょうか?

例えば、コーヒカップがあります。

コーヒーカップはなんのためにあるのでしょうか?

そうですね、コーヒーをコップに淹れて飲むためです。

同様に、椅子だったら座るため。鉛筆だったら、紙に字を書くため。

モノは、「〜するため」という意味(本質)が先にあります。

そして、その後にコーヒーカップという存在が可能になるのです。

「存在に先立って本質がある」と言えるでしょう。

対して人間はどうでしょうか?

よく「そこにいるだけで良いんだよ」と赤ちゃんに言いますが、人間が存在することに、特定の目的や意義はありません。

つまり、まず存在が先にあるのです。

サルトルはこの点に着目し「人間の実存は本質に先立つ」と主張しました。

そうなると、人間は根本では自由です。

裏を返せば、生まれた瞬間から自分をどのように存在させていくのかは自分で決めなければならないということを意味しています。

そういえば、立川談志が、どこかの話のマクラでこんなことを言っていました。

「今の人間と思うと、江戸の人間は楽だったんだよ。侍の子は侍。商人の子は商人。やることは基本的に決められていた。悩まずに済んだんだ。今は、何にでもなれるから悩まなければいけないし、大変だねぇ。」(ここまでは、いってなかったかもしれません。どこかのYoutubeで聞いたと思うのですが)

現代人は、自分がなんなのかを自分で決めなければなりません。

サルトルはこれを受けて「人間は自由の刑に処せられている」と表現をしています。

ただ、これに対してサルトルは一つの回答を示しています。

それは「他者に対する責任と共に生きる時」初めて実存的(目的を持った)生き方が実現するのです。

例えば、「今まで、仕事が終わったら、飲み歩いていたお父さん。子どもが生まれた瞬間、子どもを見る!といって帰るようになった。」

こんな笑い話がありますよね。

でも、実存主義的な考えから見れば、「子どもに対して責任が生まれたから、生き方が変わった。お父さんは、子どもが生まれたことで、子供と共に生きようと生き方を決めた」と考えることができます。

人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところのものになるのである。

ーサルトル『実存主義はヒューマニズムである』(伊吹武彦訳)より

マルクス「資本論」から考える

もう一つ大きな問いとして、「労働」そのものから、自分の人生をコントロールすることを考えてみようと思います。

「自己実現」を目的としていたはずの「労働」が独り歩きを始める

マルクスによれば、人間は本来「労働によって自己実現していく生き物」であると言います。

やりがいのある仕事!自分を成長できる仕事!こういう謳い文句はよく聞きますね。

つまり、労働の本当の目的は、お金を稼ぐことだけでなく、自己実現にあるのです。

ただ、資本主義という経済システムの中では、労働から本来の意味が失われてしまいました。

お金を稼ぐ「手段」であったはずの労働それ自体が「目的」になってしまうというのです。

これをマルクスは「労働からの阻害」と呼びました。

つまり、「今、働いているのはなんのためなのかを見失ったまま、それでもなぜか働き続けなければいけないように駆り立てられている人間の状態」です。

哲学者たちは、世界を様々に解釈してきたに過ぎない。重要なのは世界を変える事である。

ーマルクス:『フォイエルバッハについての11のテーゼ』(花田圭介訳)より

自分の仕事に置き換えてみよう

さて、ここまで説明したところで、自分の仕事に置き換えてみましょう。

先生という仕事、やるべきことが多すぎで、今何をしなければならないかが希薄になりがちです。

大事なのは「子どもの成長に向けて、エネルギーを持って仕事をできているか」が大事だと思います。

もちろん、うまくいかない時もあります。いや、むしろうまくいかないことの方が多いでしょう。

失敗は失敗でいいです。

「失敗をした時に次はどうすれば、うまくいくかな」このマインドで、手を変え、品を変え手を打てる。

手を打つということは、「目的に向かって進もう」とすることができているということです。

いろんな記事で書いていますが、自分は、「子どものために」、仕事+学術的な研究をしています。

実際に論文を学会などで発表しているのです。

もちろん趣味的な側面もありますが、ここで研究したことは、巡り巡って自分の授業力の向上。そして、子どもの成長につながると信じて続けています。

最近、学会の方も成果が出てきて、面白いところです。ハリがあるので、仕事もバリバリ頑張ることができています。

今、趣味・仕事と共に、まさに自分の人生をコントロールできている感じがします。

最後に

現在の哲学では、サルトルの「実存主義」の考えや、マルクスの「社会主義経済」的な考えは否定されています。

マイケル・サンデルなどは、社会的成功は、(あけすけな言い方をすれば)「運が良かったからだ」と結論づけています。

けれど、私たちが「生きる目的を考える、人生を主体的に生きるということ」は、生きる上で、大切なことです。

話は変わりますが、マインクラフト(マイクロソフト社)というゲームが流行っていますね。

あれは、自分でゲームの目的を決めて、それを実現できるから楽しいのです。

人生も一緒。自分で目的を決めて、コントロールできる。これこそ、最高に楽しいじゃないですか。

自分の人生をコントロールするには、何を変えればいいのでしょうか。

「目的」でしょうか?「手段」でしょうか?「環境」でしょうか?

一つ一つ吟味していく中で、きっと、自分の生きる目的を先鋭化し、磨き上げ、自分の人生をコントロールできるようになるでしょう。

一朝一夕ではできません。

ゆっくり考え、少しずつ自分の価値観を高めていけば良いのです。

その上で自分の人生をどうすればいいのか考えていくと、一つ答えが見つかるかもしれません。

もし皆さんの悩みがあったら、コメントくださいね。待っています。

スーさん
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