前回では、地域や保護者の要請に応え続けた結果、ついに先生がポイコットをして、学校という組織が崩壊に向かっているということを書いた。
そして、(実現可能かは置いておいて)今の学校に必要なことを述べたつもりである。
ドラッカーの言っていることをすべて、逆張りするから・・・崩壊に瀕してしまったのではなかろうか。
さて、学校を管理しているのは文科省である。そして、その下に各自治体の教育委員会があり、各学校の校長がいるという形をとっている。
今回は、文科省・教育委員会・校長に求めるマネジメントを、ドッラカーのタイトルにもなっている「マネジメント」を引用しながら考え、一連のシリーズを終えたいと思う。
前回の記事はこちら
組織にはイノベーションが必要である
さて、どうやったら学校という組織を変えることができるかを考えると、やっぱり「マネジメント」にヒントが書かれていた。
これに対してイノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。したがって既存事業についての戦略の指針が、よりよくより多くのものであると仮定すれば、イノベーションについての戦略の指針は、より新しく違ったものでなければならない。
イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。機能を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。
ードラッカー「マネジメント エッセンシャル版」P269
大切なのはイノベーションである。ただ、戦後数十年、学校現場では、大きなイノベーションは起こらなかった。
読者も、自分の小学校・中学校時代の学校と、コロナ禍前の学校を比べてみてほしい。
校舎もそのままで、「私たちの使っていた教室だー」なんて無邪気の喜んでいれば、学校は全く変わって来なかったのである。
ただ、大きな変化を起こさざるを得なくなった出来事が起こった。「コロナショック」である。
コロナ禍を機に、一人一台タブレットが配付された。教員にもタブレットが配付され、現在使われるようになっている。
電子黒板などの導入により、ここ数年、大きく教室の様子は変わったといえよう。(もちろん、これには賛否両論ある。特にタブレットの方では、先進的に使っていた国では、取りやめをする動きも出てきている。)
これは、学校にとっての大きなイノベーションとなった。
ただ、教員のポイコット、人員不足を解決するには、タブレットを配付するだけでは全く意味がないことは予想が簡単につく。
これは、「児童生徒の成長を促す」イノベーションであるが、「教員の働き」を改善することを目的としたイノベーションではないからである。
前回でも述べたが、文科省が教員をマネジメントする上で、もう一度してほしいことは、「職業範囲の明確化」である。
そして「職業範囲を明確にしたら、守らせること」、「学校という組織を守ること」をしていただきたい。
部活動の外部化を大きく働き方改革として以下のように打ち出した。
学校における働き方改革等も踏まえて、部活動を学校単位から地域単位の取組としていく方向性を2019年に国が示しており、2022年には「2023年度から2025年度までの3年間を改革推進期間として、地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指す」というガイドラインが公表された。
神戸市:部活動の地域移行神戸市
2025年1月現在、一部の自治体では実現可能な見通しが立っているが、当初目標だった2025年度末の地域以降はで完全実施はできそうにない。
文科省は、「各自治体の実情が違うので、全面実施はすることはなかなか難しい」といった日和った発言をしているが、ここだけは守らねばならない。
顧客(教員)の「文科省への信頼がさらに地に落ち、下がるだけ」だからだ。
文科省は、部活動の地域移行および、給料の増額をしっかり期限通り守らなければ、さらに教員のポイコットは酷くなるばかりであろう。
文科省のマネジメント力が問われている。
各学校で取り組まなければならないこと
あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。自己目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。
成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗しない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らない事にしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを試みる。
ードラッカー「マネジメント エッセンシャル版」P145~P146
自治体ごとに、様子が違うのはさまざまである。
勤務の形態や地域の実情に応じた活動をする中で、学校としての魅力を取り戻す策を失敗をしながら、各学校で行っていくしかない。
ここについてはしっかり各学校が考え、実施していくことが大切である。
例えば、私の勤務している学校は、通年、勤務時間内で生徒が下校できるように時間割を見直した。
開始して1年目。
うまくいく面、うまくいかなかった面はあるが、これからも勤務時間内で生徒が下校する方針は変わらない。
来年度以降も方針は変えずに、うまくいかなかったところマイナーチェンジして、さらに児童生徒、教員が気持ちよく成長できる組織を目指していく予定である。
このように各学校で、できることを失敗しながらも手を打ち続けることできっと学校はまた魅力のある職に戻ることができるはずである。
学校長に期待することは、児童生徒、教師と地域とうまく擦り合わせながら顧客みんなが納得して活動できる環境を整えることに尽きる。
近々、学校長にも働き方改革についてに人事評価項目ができる方針を文科省は示している。
もちろん失敗することもあるだろう。ただ、チャレンジすることはぜひ奨励していただきたい。
そして、文科省には、「児童生徒、教師、地域全員がハッピーになる働き方改革がなされているか」をしっかり評価していけるような人事評価のデザインを求める次第である。
最後に
3つの記事を通して、学校という組織の歪さ、学校が行わなければならない改革、そして文科省や学校長への要望という三本建てで記事を書いてきた。
皆さんの地域はどうでしょうか。
今回は組織という点で改善点を出していった。
この先にもう一つ大切なのが、個人としてどのように働き方改革を進めていくかと考えている。
ただ、個人の働き方改革というのは「勤務時間の縮減だけをねらう」だけではない。
例えば、勤務時間が組織の働き方改革で空いた時間ができた結果、個人で美術館に行く、ミュージカルに行く。
地域移行化された部活に携わる。
私だったら、学会に所属し、論文を書き、教育文化の進展に寄与したいと活動をする。
こんな感じで「自分の人生を輝くような個人働き方改革を進める」ことが、さらに教師という職の魅力が増し、学校という組織が「児童生徒の成長を促す組織」としてさらに飛躍するのではないいだろうか。
そうなる未来が来ることを願って、筆を置きます。
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