「子どもの様子をみながら授業をする」
当然なことなのですが、「『子どもの様子を見る』ということはどういうことですか?」と聞かれたときにみなさんは答えられますか?
論じるのはたくさんの切り口があります。
今日は、「教師の発問」「子どもの発言」の場面を切り口に話をします。
教師が「発問」したときに、子どもの様子をみる
教師が発問する。
子どもがすぐ手を上げてくれれば安心するのですが、シーンとなって焦ったという経験はないでしょうか。
私も、すごく身に覚えがあります。
反応がないから、発問の仕方を変えたり、追加のヒントを出したり…。
それでも子どもの反応はよくなくて泥沼にはいっていく。。。なんてことがよくありました。
これってどこが悪いんでしょう?
子どもの様子をみることができていなかった
子どもの立場になって考えてみます。
子どもは、先生の発問に対して、なぜ黙ってしまったのでしょうか。
次のようなことが考えられます。
- 先生の発問の内容がよく分からない
- 先生の発問を聞いて、考えている
1の場合は、教師のミスです。
もう一度子どもに考えてほしい内容を確認し、発問をし直さなくてはなりません。
2の場合はどうでしょうか。
子どもが考えてい途中、追加発問をすると、逆に混乱して考えることができなくなってしまいます。
そこのさじ加減が難しいのです。
教師として大切にしたいこと
初任時代にいわれた言葉があります。
「発問は、1回だけ」
「1回だけ」発問して、まずは「子どもの様子を見なさい」ということだと理解しています。
発問して考えだす様子があるならば、発問が適切だったということです。
逆に、子どもがポカーンとしている様子だったら、発問は適切ではなかったということです。
生徒の様子を少なくとも1分じっと見てみましょう。
そして、対策を打っていけばよいのです。
一番まずいのは、そのどちらだったかを看取らずに、焦って手を入れて、授業がしっちゃかめっちゃかになっていくことです。
教師が焦っては、授業も成り立ちません。
教師としても授業を振り返ったとき、何が良かったのか、悪かったのか確認ができないからです。
「発問は1回」
この言葉を大切に、日々の授業をしています。
「子どもが発言」をしているときに、子どもを見る
子どもが発言をしているときに、みなさんは教師としてどこを見ていますか?
発言している子どもの意見を板書していますか?
じっと発言している子どもを見ていますか?
私は、発言を聞いている子どもの様子を見ています。
それはなぜでしょうか?
子どもの発言に対して、他の子どもの反応を見るのが大切
子どもの発言を聞いて、子どもたちはどう思っているのか。
「説明が分かったよ!」という顔をしているのか。
「う~んよく分からないな」という顔をしているのか。
その様子によって、発言が終わった後、子どもに対しての投げかけが変わってきます。
みんな分かっている様子だったら、「○○さんの説明はよく分かる説明だったね。」と褒め、それで終わりにしてしまうかもしれません。
もし、みんな分かっているのに、「もう一度説明しましょう」なんてふったときは、逆に白けてしまいますよね。
もし分からないような顔をしているようだったら、「どこが分からなかなったの?」と聞いて、クラスみんなで分かるように話題を繋げていきます。
子どもの顔を見て、投げかけを変えていくことが、教師としての腕になってきます。
まとめ
今日は、「子どもの顔をみて授業する」というテーマで、記事を書いてみました。
みなさん、日ごろの授業ではどうでしょうか?
授業について、一緒に考えるきっかけになれば幸いです。
ぜひコメントをください。
お待ちしています。
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