前から聖書について興味があって、少しずつ勉強をしていました。聞き始めたのが、「まったり聖書ラボ」というポッドキャストです。
プロテスタントの牧師さんとして、活躍をしている2人の聖書への解釈が面白いですが、番組の中でハッとしたことが出てきたので、今回お話ししたいと思います。
「先生だったら」と聞いていてハッとしたこと
先生になったのは何のため?

14分から20分のところで、「牧師になるのは何のため?」というテーマで話をしています。
「牧師になるのは何のため?誰かに説教をするため?誰かの上に立つため?きっとそうやって聞けば、みんな『そんなことはない。』と答えるだろう。それでも、本心を問うてみると、それは怪しい。」
これを聞いて、自分は何のために先生になったのかなとふと考えてしまいました。
先生から生徒への体罰による、処分や報道は後を立ちません。
もちろん、生徒への指導は大変です。
ブラック職場と認められているのが今の教職です。
ただ、「教師の奢りによって起こった問題」も少なからずあると思っています。
先生の周りは、子供です。基本的には、先生の話を聞いてくれます。
先生の言うことを聞いてくれます。
そのうちこのことを勘違いして、自分の言っていることを正しい、先生は偉いと思ってしまっている人がいるんじゃないかなと思ってしまう時があります。
授業が教えて「あげている」になっていないか?
もう1つ、次のような話もハッとしました。
「みなさんに『教えてあげてる』という態度の牧師さんいるじゃん。信徒のみなさんは、『聞いてあげてる』なんだよね。僕も昔、そうだったんだ。みんな喜んで聞いてくれてたんだけど、僕のために聞いてくれていたんだな。ほんとに感謝なんだよね。誰かと関わり続ける上で、大事な話だと思ったんだ。」
これ、牧師を教師、信徒を生徒と読み替えると、そうだよなーって思ってしまいます。
学校という場では、子どもがどうしても、教師の下にきてしまいます。
子どもたちは、「学校だから。」「テストに出て成績をつけられるから。」先生の話を聞くと言う構図になりやすいなとも感じてしまいます。
この話を聞いて、自分ももう一度自分って大丈夫かなとも思ってきました。
自戒を込めてやっていきたいこと。
生徒指導にも関わるのですが、自分はそうならないように以下のことを気をつけるようにしています。
教師として気をつけていること「子どもを尊重すること」

先生として、大事なのはやっぱり「子どもを尊重すること」だと思います。
それは言って聞かせるというものではなく、その子が今どう思っているのか、一人一人に寄り添うことだと思うのです。
とても時間がかかることです。
それでも、次のようなことを気をつけてやっています。
子どもの話をまずは聞く
子どもが行動が目につくと、つい頭ごなしに叱ってしまいがちです。
けれど、子どもには子どもの理由があるのかもしれません。
例えば、授業のチャイムがなって、5分遅れて入ってきた子どもがいたとします。
みなさんならなんて声をかけますか?
「遅れてきちゃいかんだろ!」と叱るの簡単です。
もしかしたら、体調が悪くて保健室によっていたかもしれません。
保健室に誰かを助けて連れていったのかもしれません。
委員会や係活動をやっていたら遅くなったのかもしれません。
もちろん、遊び呆けて遅れたのかもしれません。
しかるのは、理由を聞いてから叱れば良いのです。
子供が遅れた理由を知ることで、「遅いじゃないか!」と怒鳴るよりも、その子にあった指導ができると思います。
「聞くこと」を大事にすることで、お互いの気持ちが通じ合い、尊重できるようになると思っています。
子どもを色眼鏡で見ないようにすること
ついつい「〇〇君はあんな子だから・・・。」と子どもにバイアスをかけて見てしまいます。
人間なので、バイアスをかけてしまうのですが、それが偏らないようにしたいです。
例えば、他の先生とその子について話をする。
その子のいいところを探してみる。
そうするなかで、子どもの見方が変わってきます。
見方が変わると、接し方が変わります。
そうすると、子供との人間関係が良いものに変わってくると思います。
最後に

牧師さんの話から、今回は先生のあり方を自分で見つめ直してみました。
みなさんは、どうでしょうか?
自分は教師を始めて11年目。丸10年を終えました。
そろそろ奢りも出てくる年に差し掛かってきました。
そうならないように、気を引き締めたいと思えた放送でした。
皆さんが気をつけていることってありますか?

参考HP

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