以前、湊かなえの「告白」を読みました。
この本は、人間の醜いところを詰め合わせて、煮込んだような作品でした。
また、物語の犯人は少年だったこともあり、また普通のミステリーやサスペンスよりも生々しい部分がありました。
そういえば、リアルな少年犯罪ってどんなふうな感じなのだろう。
有名なのが、酒鬼薔薇聖斗事件でしょうか。
当時の少年Aが手記を出して話題になりました。
どういう気持ちで犯罪を起こすのか。
「告白」のように、人を殺したことに罪悪感は持つのか。それとも結構平気で日常を送れてしまうのか。
そんなことが気になって、「酒鬼薔薇聖斗は更生したのか」を読んでみました。
こちらは、毎日新聞記者の川名壮志さんが、取材を重ねてきた成果をまとめた1冊になっています。
酒鬼薔薇聖斗は更生したのか?

この本の第1章はこのタイトルから始まる。
一番気になるところだが、これは結局わからない。
先ほど述べたように、当時の少年Aは、「絶歌」という手記を出している。
これは読んでみないとと思っているのだが、少なくともかつて、殺人犯罪を犯した人物が、手記を出す。
この行為自体が、常識から逸脱した行為であり、筆者は「非社会」的な行動と指摘している。
自己顕示欲のために手記を出版する元少年Aの行動に、私たちは、ずれを感じ、得体の知れなさをかぎ取り、そこに注目が集まるのである。
こうした突飛な行動をするのは、Aの想像力や才気があふれるからでも、彼が怪物だからでもない。
それは、むしろ、彼の想像力の乏しさが引き起こしているということだ。
自分の行動が、遺族をどれだけ傷つけるか。更生に携わった関係者をどれだけ裏切るか。そしてA本人の両親や兄妹をどれだけ苦しめるか。その振る舞いがいかに残酷なものであるかを理解する想像力を、彼は欠いていた。
-P28
少年犯罪というのは、自分の行動がどれだけ、被害者は元より、周りの人間、自分の家族をどれだけ苦しめるか、残酷なものであるかの想像力を欠いているから起こりそうである。
「告白」の犯人の1人も、人を殺めた結果、どのようになるか、自分の家族、離縁した母でさえどう思うかに何も想像がいっていなかった。
だからこそ、人を殺して見ようなんて思うのである。
さて、ここで一つの疑問が出てくる。
「人を殺してはならない」
これは、誰しもが知っている知識であり、禁忌であろう。(もちろん一般社会において)
人を殺すときには、葛藤や、逡巡。嫌悪感をもよおし、踏みとどまる気がする。
少年犯罪の殺人のケースは、深い動機がないことが多い。
それはなぜだろうか?
発達障害を争点に、少年審判の決定がなされる潮流

最近では、少年犯罪について、精神鑑定で、「発達障害」という視点を持ち出して、審理が進むことが多くなっている。
この発端は、豊川市主婦殺害事件である。
ここで初めて、少年に責任があるかを調べるために、精神鑑定の中で、発達障害を引き合いに出して心理が進められた。
そしてベストセラーになった「ケーキの切れない非行少年」でもあるように、ぐ犯少年は発達障害を抱えている傾向にあるということも、今やメジャーになってきている。
「発達障害」は、教育関係者にとって、今や重要な教育をする上での視点になってきている。
教師の目から見ても、「普段静かで、問題無い子だが、おや?」と思う子は少なからずいる。
言動がなんかずれている。
静かなのに、カッとなったら、もう止まらない。
そんな子を見たことがないだろうか。
結局は、この言葉を言ったら相手はどう思うか、この行動をしたらどうなるのか。
そんなことを考えずに、その場の感情で動く。
そんな子供を見たことがあるはずです。
そんな子を、社会としてどう包括していくのか。
ひいては、社会に出る前の学校で、どのような教育を行い、社会に送り出していくか。
それが大事なのではないのかなと考えました。
最後に

以前、スクールロイヤーをやっている弁護士さんから、少年犯罪を起こしやすい生徒の特徴を聞きました。
発達障害と犯罪は切っても切れない関係にあります。
「告白」で出てきた犯人の少年も、実際にクラスにいたら、発達障害の傾向はあるだろうなと思ってしまいます(とてもリアルでした)
もちろん、私たちも、人を傷つけたくなるほど憎い相手はあります。
ただ、私たちは、それを止めることができます。
そのとどめ方を子どもたちに教えていく。
義務教育で必要とされる大事な柱の一つなのだろうと強く感じました。
今度、「絶歌」手に入ったら読んでみようと思います。
工事中
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やる気になります。





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