以前、「嫌われる勇気」を読んで、「人生の意味とは何か?」考えてしまいました。
続刊もついに図書館で借りることができたので、借りてきてしまいました。
これ、子育ての「叱って育てるべきか、叱らず育てるべきか?」とか、学校現場では「何を目指すべきか?」そんな様々な答えがありそうなところに、一つの結論を出していた興味深い本でした。
今日は、子どもはなぜ問題行動を起こすのか。その目的について考えます。
合わせて、問題行動に対して叱ることの是非について考えます。
内容をさらってお伝えします。
問題行動の「目的」はどこにあるか

なぜ子どもは、問題行動に走るのでしょうか?
子どもが問題行動に走る目的を5つの段階に分けて、アドラーは考えています。
- 賞賛の欲求
まずはいい子を演じる。上司や先輩に向けてやる気や従順さをアピールする段階- 注目喚起
「いいこと」をしたのに褒められない。良い地位が得られない。そもそも、「いいこと」ができない。そういう時は、「褒められなくても、とにかく目立ってやろう」となる。- 権力争い
誰にも従わず、挑発を繰り返し、戦いを挑む。その戦いに勝利することによって、自らの「力」を誇示しようとする。特権的な地位を得ようとする段階。- 復讐
権力争いの段階で、うまくいかない。勝利を得られない場合、この段階に貼ります。
かけがえのない「私」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をする段階。- 無能の証明
復讐の段階を経て、誰にも認められなくなる。そうなったら、「これ以上私に期待しないでくれ」と言う気持ちになります。人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになえい、何もできなくなる段階。ー「幸せになる勇気」P ~P より筆者抜粋
「賞賛の欲求」
賞賛の欲求は、極めて普通と思うかも知れません。誰しも、褒められたい、評価されたいという思いはあるものです。
自己実現のためならいいのですが、子どもの場合「褒められたい」または、「集団の中で特権的な地位を得ること」を目的としている場合もあります。
こう言った場合、「褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない」し、「罰を与える人もいなければ、不適切な行動もとる」ということを覚えてしまうかも知れません。
「注意喚起」
注目喚起では、説明にも書いたように、不適切な行動を取ってでも、注目を集めようとします。
この段階における子供達の行動原理は、「悪くあること」ではなく、「目立つこと」です。
学級の中で、または自分の属するコミュニティの中で確固たる居場所がほしいと思っているのです。
これは個人の感想ですが、「今日から俺は!」の漫画出てくる不良は、このイメージです。
性格は、捻くれているわけではない。大人にも挨拶をする。授業にも(寝ているけれど)真面目には出る。
でも、服装は、金髪。変形改造服。気に入らないことがあれば喧嘩をする。
まさに目立ちたがっていますよね。
喧嘩をして、勝てばクラスで一目置かれます。そうやって、グループの中で、地位を確保するのです。
また、消極的な子どもたちは、「できない子」として注目を集めようとします。
例えば、忘れ物をくりかえる。泣いたりする。
テストの成績を著しく落とす。
こんな行動で、注目を集めようとするのです。
「権力争い」
権力争いの具体的な姿は「反抗」です。
汚い言葉で挑発する。癇癪を起こす。暴れる。万引きや喫煙に走るなどの非行。
このように、平然とルールや法を犯します。
まさに問題児です。
一方、消極的な子どもたちは「不従順」な行動をとります。
どんなに大人から厳しい言葉で詰められても、無視する・拒絶するのです。
もちろん勉強は不要とは思っていません。
ただ、不従順を貫くことで、「従わない」と力を証明しようとしているのです。
「復讐」
復讐の段階は、1から3の段階で自分の求めるものが手に入らなかった場合に突入します。
1~3の段階で愛情を求めるのですが、残念ながら得ることができなかった。
そうなった場合、この段階に入ります。
人は「憎しみ」を求めるようになるのです。
負の感情の憎しみでもいいから、「私に注目してほしい」と思うのです。
ここまでになってしまうと、誰からも称えられることはありません。
親や教師、友達からも距離を取られ、恐れられ、孤立をしていきます。
けれど、憎まれているという1点だけで他者と繋がろうとするのです。
わかりやすいところで言うと「ストーカー行為」です。
自分を愛してくれなかった人の嫌がることをして、相手の心に残ろうとする。
憎悪や、嫌悪を使って、なんとか繋がろうとするのです。
また、自傷行為や引きこもりも、この理論では復讐の一環と考えられています。
自分を傷つけて、親に対して「こうなってしまったのは、お前のせいだ」と訴えるのです。
親は心配します。この時点で子どもにとって復讐は成功していることになるのです。
「無能の証明」
1から4の段階を経て「無能の証明」の段階に至ります。
何事にも、「できるはずがない」と諦めるようになります。
自分がいかに無能で、何もできないかをありとあらゆる手を使って「証明」しようとします。
「自分は何もできないから」と言っている子はまだこの段階ではありません。
本当にこの段階に入った子は精神疾患を疑われることもあるぐらいになります。
こういう子達の願いは「何も期待しないでくれ」「私にかまわないでくれ」であり、周りの人間が手を差し伸べようとすればするほど、さらに何もしなくなります。
この段階になると、専門家ですら手をさしべることが難しくなってきます。
問題行動の大半は、第3段階までにとどまることが多いです。
そこから先に踏み込ませないためにも、教師に課せられた役割、私たち教師としてできることを考えなければいけません。
叱れば問題行動を起こさなくなるのか?
上記の5段階の根本には、「共同体への所属感」、「共同体の中に特別な地位を確保しやい」という子どもの動機に根ざしています。
さて、ここまで問題行動の捉え方を話してきました。
さて、もう一つの話題にいきましょう。
「叱れば(怒れば)問題行動は無くなるのでしょうか?」
いつも教室で叱っている先生がいます。
でも逆を言えば、叱っても問題行動が収まらないので、叱る必要が出てきているのです。
叱って問題行動が収まるのならば、だんだんその先生の教室では、叱る声は聞こえてこなくなるはずです。
でも、対応は叱っている。
これは、叱ることが意味のないことの証左なのです。
さらに言えば、「叱られているから自分は特別だ」と所属感を得ている場合が考えられます(第2、3段階)。
叱ることで、その生徒を特別視しているということになるのです。
「これからどうするか」を考えるのが大事

それでは、問題行動のある生徒にどう指導をしていかなければならないのか。
それは、彼らの目的に注目して、彼らと共に「これからどうするか」を考えることなのです。
問題行動の背景には、何かしら彼らが苦しんでいるとか、注目されたいところがあります。
そこについて、これからどうすればいいかを一緒に考えていくのです。
この決定のためにはとてつもない時間と根気が必要です。
先生だけでなく、問題行動を起こす生徒も同様です。
時間をかけて対話をしていかなければなりません。
私の経験から
ある生徒は、傍若無人に振る舞い、周りの生徒が嫌な思いをしていました。
それは、小学校時代からずっとのようで、どの担任も困っていました。
生徒は、「自分も嫌な思いをしている。陰口をされたり、実際に嫌なことを言われたりする。逆に自分は、全く心当たりがない。どうして先生に指導されなければいけないの?」といいます。
教師が「こうするといいんじゃない?」と言っても生返事。
話を聞こうとしません。
そこで、私が「君はこれからどうしたいの?」と尋ねました。
その生徒は、「このままでいい。」と言います。
「君がこのままでいいなら、もう先生は取り合わないよ。君が悪口を言われたと感じているけれどこのままでいいんでしょ?」と聞くと
「それはいやだ。」といいます。
「じゃあ、どうするの?他人の行動は、そりゃ私からもその生徒に言ってやることはできるけど、結局あなたと同じように聞かない状態になったら、変わらんよ。変えられるのは、あなたの行動だけ。どうなりたいの?」とさらに尋ねました。
しばらく黙ったあと「〇〇さんと話せるようになりたい」と言いました。
「〇〇さんと話せるようになりたいとはどういうこと?仲良くしたいということか、ほどほどの距離で当たりさわりなくやっていきたいということ?」と聞きます。
「仲良くは無理。けれど、陰口とはは嫌だから、ほどほどの関係でいたい」と言いました。
ここまで具体的な姿になってきたのは嬉しいことです。
「では、そのためにはあなたはどうするの?どうすればいいの?」尋ねました。
「とりあえず、笑顔でいること。わーっと喋るのがいやだと思うから、声のトーンを落として普通に喋ること。」と言いました。
「じゃぁ、その2つの基準で先生が気になったことを見つけたら、声かけていいか?」と聞くと「はい。」と答えました。
コーチングのように自分に決めさせるのが大事です。
教師からの押し付けでは、結局響かないのかなと思います。
ただ、次の日には、その生徒の言うことや欲求が変わっていました。
そこに対して、また「どうしたいの?」とやっぱり聞いて、しっかり筋が通るまで話を聞き続けました。
やっとこさ、生徒が腹落ちした段階で、指導を開始しました。
ただ、おかしいと思った時は、怒るのではなく、「自分の言っていたことから今逸脱したと思うけど?」と伝えるだけです。
この活動を続けて、指導の基準も、生徒と相談し、だんだん段階を引き上げていきました。
以前よりもトラブルが少なくなりました。
最後に

子どもをコントロールするために、叱って支配下に置いておくことが大事ではないのです。
教育の目標は、生徒が自立して社会生活を営むことができるようにすることです。
そのためには、自己決定が欠かせません。
自己決定させるのは時間がかかります。
ただ、この自己決定をする練習ができないと、いつまで経っても、自立することはできません。
叱った方が楽なのです。
力によって子供達をコントロールできるからです。
でもここまで話せば、意味のないことにも気づいていただけたと思います。
大事なのは、子供が自分が決定できるまで伴走すること。
その気持ちが大切なんじゃないのかなと思います。
教育って、手間がかかります・・・。
その手間を大事にしたいですね。
「幸せになる勇気」の私が気になった部分をかいつまんで、メモとして残しました。
ただ、これだけ読むと、誤解がすごく出てくるだろうなと思います。
1冊(前巻の「嫌われる勇気」も含め2冊)を読んでこそ、真の理解に到達できる骨太本です。
ぜひ、この記事を読んで興味を持っていただけたら、実際に本を手に取って読んでいただければと思います。
オーディブル会員なら、無料でこの本を聞いて、読書することができますよ。
ぜひ、聞いて読んで、理解を深めましょう!
ぜひ読んだ感想をコメントで教えてくださいね。ブログのモチベーションにつながります。

岸見一郎先生の本はいくつも記事にしています。あわせてご覧ください。
幸せになる勇気を読んでも、いろいろ考えています。
参考文献
Audibleに入会すれば、「幸せになる勇気」を無料で聞くことができます。
月額1500円ですが、30日は無料!
キャンペーン時なら、2ヶ月99円でAudible聞き放題です。
飽きたり気にいらなかったら、退会すればOK。お金はかかりません。
この本が気になったら、上記のリンクをクリックしていますぐ入会を!
Audibleに入会すれば、通勤中でも耳から学びを深めることができます!







コメント