以前、大学教授の仕事の話(以下リンク参照)を読んで、大学の先生って結構無機質なイメージだけれど、悲喜こもごもあるなと感じました。
自分も教育について研究をしています。
研究を続けていて、いろいろうれしかったり、悲しかったり、そんな経験をしてきています。
話はちょっと変わるのですが、ゆる言語学ラジオで、「研究者の人生を変えた「どフェチ論文」を聞きました。#443」と題して、大学の先生が、自分の人生を変えた論文について話をしているではありませんか。
このエピソードの元ネタ本は、「博士が愛した論文 研究者19人が語る‟偏愛論文”アンソロジー」でした。
見つけたので手に取って読んでみました。
この本を読んでの感想と、自分のいまの研究人生をの方向性を決めた「スーさんが愛した論文」を紹介しようかなと思います。
「博士が愛した論文 研究者19人が語る‟偏愛論文”アンソロジー」を読んで

研究の最先端を走る大学の先生たちが愛した論文。
自分の研究の方向性をを決定づけた論文。
実は、査読(研究論文が学術雑誌などに掲載される前に、同じ分野の専門家が内容をチェックする仕組みのこと。英語では「peer review(ピアレビュー)」)にかかわり、その後10年の、世界のその分野の研究の方向性を決めてしまった話(実は査読にかかわった論文は後々、間違いだったことがわかります)
そんな研究者の愛や哀愁に包まれたエピソードがたくさん載っています。
研究というと、我々は結構無機質な感じがするものです。
白い部屋の中で研究、論文を書く。
自分の持っている仮説の元、コツコツ研究をする。
そこに人間ドラマはなく、淡々とこなしている印象です。
でも、そんなことはないのです。
論文を読むと、「ん!?」と思う部分が出てきます。
藤井一至先生の言葉を借りれば「良い論文を書ける人は、論文をたくさん読んでいるのです」
その気づき、ひらめきが世界の技術を変えていきます。
さらには、論文を書いた先生へのあこがれ(実際に海外まで出向いて、その先生の研究室で研究をする人もいるから究極の推し活ですよね)が研究の原動力になっている先生もいました。
そして、(一昔前のオタクのように)その論文のすごさを、私たちにわかるように書いた各研究者たちの熱意(誉め言葉です)。
この本を読むと、研究って本当に楽しいんだなということが伝わってきます。
誤植?
すごく、細かいのですが、表紙に載っている著者「小林武彦先生」が一字下に下がっていることが気になりました(笑)。あえてなのかな。
P127の藤井一至先生の「第回日本農学進歩賞」に数字が入っていないのは誤植?
情報ください!日経ナショナルジオグラフィックさーん。
スーさんの愛した論文

研究を草の根的に始めて一番心に残っているのが、
「フランスを起源とする数学教授学の「学」としての性格 -わが国における「学」としての数学教育研究をめざして-」(宮川健,日本数学教育学会誌,2011 年 91 巻 R94 号 p. 37-68)です。
自分も一度、この学会誌に投稿させてもらったのですが、規定では、7P以内で応募するはずなんですよ。
一度投稿してrevision(再投稿)の折に、7Pでは内容が伝わらないと編集部が判断した場合、「1Pや2P追加してもいいよ」と言われて、付け足しをするのです。
私もrevisionを受けた時は1Pしか追加が許されず、1P追加だけじゃ足りない。。。と苦労して、内容を絞った記憶があります。
この論文は31ページあります。
どうしたら、そんなに紙面をもらえたんや。。。
というのがまず印象です。(講演を加筆・修正のうえ論文化したものなので、たくさん紙面がもらえたのでしょう。論文雑誌の増刊的なものに掲載されたので)
さて、前置きが長くなりましたが、この論文との出会いについて書こうと思います。
この論文と出会ったのが4年前。2022年のことだったと思います。
X、当時Twitterで、「学会論文を書いてみたいー。」とつぶやいたところ、声をかけてくれた方がいました。
今でも一緒に研究をしています。
その方から、「とりあえずプログラミング関係で論文を書いてみようか♡」と言われて、渡された論文100本の中にこの論文が入っていました。
実はこれは、フランスにおける数学教授学とは何か?
日本の数学教育学との違いは何か?を書いた論文です。
そして、この数学教授学の中に入っている、探究型学習の一形態であるSearch and Rserch Paths(通称SRP)について詳しく触れられています。
SRPは、今、自分が研究対象としているものです。
SRPも面白いのですが、数学教授学そのものの考え方が目からうろこでした。
学校現場では、実践論文という、授業の様子を紹介する文章を書きます。
ある授業に対して、こういう手だてを講じたら、こんな生徒の姿は現れたと書いていくのです。
ただ、難しいのが、「これって取り上げられているA君がいたから、こんなすごい意見が出て、いい授業になったよね。うちの学級だったら、そんな意見や気づきは誰も出てこない。」なんて批判が集まります。
再現性がないと言われるわけです。
ただ、数学教授学では、そこについてこんな記述がありました。ちょっと長いですが引用します。
「数学教授学」,特に教授学的状況理論では,生徒がインプットしてある状況に置かれ,状況が生徒の行為をアウトプットして出すと考える.そこで,このアプトプットを分析することにより,与えられた状況において何が起きたのかを探る,状況がブラックボックスになるのである.したがって,数学教授学は,主体の内的なメカニズムを探る心理学とは異なり,主体の外的な状況のメカニズムを探る社会科学と言うこともできよう.
ー「フランスを起源とする数学教授学の「学」としての性格 -わが国における「学」としての数学教育研究をめざして-」(宮川健,日本数学教育学会誌,2011 年 91 巻 R94 号 p. 43)
これを見るに、学校で執筆する実践論文の方向性は正しいと感じたんです。
どんな環境(教材・教具、板書、先生の発問、その他講じた手だて)を用意し、生徒に知識をインプットしていく。
そして、生徒から出てくるアウトプット(発言、板書、表情)などを分析することで、生徒はどんな変容をしたのか明らかにする。
心がどう変化したのかではなく、どうして、そんなアウトプットが出てきたかを考えることで、理論化をしていくのです。
ストーンと教育論文の意味が腹落ちした瞬間でした。
その後も、宮川健先生の論文は熟読しています。
そもそもここを深めるためには、「数学教育学とはなにか?」も考える必要があります。
そこについても、先ほど引用した宮川先生が、大学院生向けに文章を書いている。
ぜひこちらも読んでいただければと理解が深まると思います。
https://tmiyakawa.w.waseda.jp/article/2017-intro.pdf
最後に

今回の「博士が愛した論文 研究者19人が語る‟偏愛論文”アンソロジー」は、理系論文がほとんど!
数学の専門の教師ですが、教育学部数学科なので専門は人文学系です。現在の研究も教育学の領域なので、理系の専門用語がよくわからなかったの悔しいです。
次は、人文学系の「博士が愛した論文」が出てくることを切に願います。
皆さんが心に残っている論文、卒論で格闘した論文とかってありますか?
ぜひコメントで教えてください!

私の研究については、プロフィールを見ていただけると嬉しいです。
参考文献・参考HP
参考文献
参考HP
https://tmiyakawa.w.waseda.jp/article/2017-intro.pdf





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