今回は、時事ネタです。
社会で「アメリカ」を取り上げるときに面白いかもしれません。
さて、アメリカ大統領が、就任式のとき、宣誓をします。
そのときに、聖書に手をおいて、大統領就任の宣誓を行うことが慣例となっています。
ただ、2025年 2期目の就任となるトランプ大統領の宣誓時には聖書に手を置かずに宣誓をしたことで話題になりました。

なぜここまで話題になるのでしょうか?
そもそも政治と宗教っていっしょになったらまずいんじゃないか?(政教分離)と、不思議だなと感じていました。
Copilotに聞いても「慣例だから」という返事のみです。
なぜ慣例になったのかが知りたくて悶々としていました。
あるとき、橋爪大三郎先生の「世界は宗教で動いている」という本に、アメリカの政治と大統領の関係が書いてありました。
これを種本にして今日は記事を書きます。
社会の成功と神の意志

アメリカでは一般的にお金を大量に稼ぐことができれば、社会的成功というふうに見られます。
最近だと、大谷翔平が日本人として、大リーグとして成功していると誰もが思うことでしょう。
野球の成績での成功はもちろん、その成績に対して、莫大な年俸(10年7億ドル 約1070億円)が払われることになっています。
日本人は、お金を稼いで自慢することは卑しいという気風がありますが、アメリカではそういう空気はないそうです。
むしろ、社会に出てお金を稼ぐ。成功をして大金を儲けることができたのは、神の采配であり、神の意思であると考えます。
だから、成功した人は、その成功を謳歌しようと考えるのです。
高級車や住宅に乗るのは成功したから当然。
また、上に感謝するという意味で、教会や貧しい人に寄付をするという行動が当たり前にあるようです。
選挙の結果と神の意志

さて、ここで話をトランプ大統領の話に戻します。
神の意志と就任式で聖書に手を当てて先生することは関係あるのかという疑問です。
宣誓をする、しないは人間側の問題なので直接は関係ありません。
ただ、「神の意志に応えようという態度を示している」と考えるとわかりやすいです。
選挙の結果は神の意志の表れとは、法律や合衆国憲法のどこにも書いてありません。
けれども、キリスト教のロジックから行って、政府や警察、軍隊などの公的職位は、神の意志を体現する権威を持っている、と考えるのです。
「地上にある権威は、すべて神が立てたものである。悪を正すために彼らは県を帯びている。正義のために政治権力はある」(新約聖書『ローマ書』13章 1~4節)と書かれています。
社会の授業の用語で言えば、「王権神授説」(ヨーロッパの絶対王制国家の権力は神から授かったものとする政治思想。)の王を大統領や、警察に置き換えたものと言えばわかりやすいのではないでしょうか。
聖書では、「最後の審判」までの「つなぎの期間」に、人間が人間を統治してよいと政治の仕組みを定めています。
ルターはその政治を隣人愛の精神で行うべきだとしました。
統治者は合法的に選ばれた人物であるべき、それは神が人間のために与えたもの。クリスチャンはそレに従う義務がある。
と考えるのです。
また、先程述べたように「大統領の当選が神の意志」と考えれば、神に対して「誠実に大統領の職務を遂行します」と宣誓することは自然な流れであるとも言えましょう。
以下のように宣誓することが、慣例になっています。
Before he enter on the Execution of his Office, he shall take the following Oath or Affirmation:— “I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States.”
大統領は、その職務の遂行を開始する前に、次のような宣誓又は確約をしなければならない。「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う(又は確約する)」
ーアメリカ合衆国憲法第2条(英語版)第1節第8項
憲法では、大統領就任宣誓を誰に対して行うかの規定はないが、ジョン・アダムズ以降の大統領(大統領の死亡による副大統領からの昇格を除く)は最高裁主席判事に対して宣誓を行っています。
でも、判事に「全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う」っていうのもおかしな話です。判事を国民の代表として先制すると考えても、それでは聖書に手を置いて宣誓するという慣習もおかしな話です。
アメリカの成立や、基本的な社会通念を考えると、神に対して宣誓をしているという事が考えられます。
だからこそ、聖書に手を置かずに、大統領の宣誓をした今回の宣誓式は異例であるのです。
今までの大統領での例外

1901年のセオドア・ルーズベルトは聖書を使わず、法律書を用いました。
ジョン・F・ケネディの暗殺直後に大統領専用機(エアフォース・ワン)の中で宣誓を行ったリンドン・ジョンソンは、飛行機の中にあったカトリックのミサ典書(英語版)を使用しました。
どちらのケースも現職の大統領が急逝したので、臨時の宣誓式を行いました。
なので、聖書の準備をできなかったので、手元にある本で代用したのではないかと想像できます。
今回は、ちゃんとした宣誓式の場があり、聖書も用意したのに、手を置かずに宣誓をした今回のトランプ大統領は、極めて異例といえるでしょう。
政府高官は、この行動についてコメントを出していないので、トランプ大統領を聖書に手を置くのを失念していたのか、あえて置かなかったのかはわかりません。
最後に

さて、簡単に神と書きましたが、日本人の考える神と、キリスト教の神(GOD)は大きく違います。
今回は触れませんでしたが、そこに言及をしていくと、さらにアメリカという社会が見えてきます。
ぜひ、今回参考にした「世界は宗教で動いている」を読んでみてくださいね!とても面白いですよ!
Make America great again! (偉大なアメリカを復活させる)
ー2016年 トランプ大統領就任演説より

参考文献・参考HP
参考文献
参考HP



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